2015年7月10日金曜日

走れメロス

こんにちは。2年の中山です。連続更新記録が日曜大工に破られ悔しいです(嘘)

今回は太宰治の走れメロスについて。

走れメロスを紹介すると言うよりは作者の太宰の事を書きます。

太宰と言えば晩年には人間失格や斜陽といった暗い作家というイメージが強いかもしれません。
しかし初期のころは富岳百景や走れメロスといった明るい内容の物を書いています

ご存知かもしれませんが太宰は芥川が大好きです。そんな太宰にとって芥川賞受賞はかねてからの悲願だったと思います。
しかし太宰は芥川賞受賞を成すことができませんでした。
このときに選考員に章をくれないと死ぬぞという内容の手紙を送ったそうです。

結果、芥川賞は石川達三が受賞することとなりました。
(第一回芥川賞受賞者なのでクイズ番組とかでちょくちょく出ます)

その後太宰は自殺未遂を繰り返すことになります。
皆さんご存知だと思いますが、太宰は妻と一緒に死のうとしたが自分だけ生き残ります。

ここら辺の太宰はもう廃人状態だったと思います。

そんな太宰ですが、センター試験にも出題されました、たま虫を見るを書いた井伏鱒二に弟子入りします。そして井伏に仲裁してもらい新たに妻を得ます。

このころは少し太宰も落ち着いたらしく走れメロスや富岳百景といった後世に名を残す優れた作品を出していきます。


さあ、そろそろ本題。
走れメロスには元ネタがあると言われています。

懇意にしていた熱海の村上旅館に太宰が入り浸って、いつまでも戻らないので、妻が「きっと良くない生活をしているのでは……」と心配し、太宰の友人である檀一雄に「様子を見て来て欲しい」と依頼した。
往復の交通費と宿代等を持たされ、熱海を訪れた檀を、太宰は大歓迎する。檀を引き止めて連日飲み歩き、とうとう預かってきた金を全て使い切ってしまった。飲み代や宿代も溜まってきたところで太宰は、檀に宿の人質(宿賃のかたに身代わりになって宿にとどまる事)となって待っていてくれと説得し、東京にいる井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。
数日待ってもいっこうに音沙汰もない太宰にしびれを切らした檀が、宿屋と飲み屋に支払いを待ってもらい、井伏のもとに駆けつけると、二人はのん気に将棋を指していた。太宰は今まで散々面倒をかけてきた井伏に、借金の申し出のタイミングがつかめずにいたのであるが、激怒しかけた檀に太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」 と言ったという。
後日、発表された『走れメロス』を読んだ檀は「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」と『小説 太宰治』に書き残している。

この通り壇一雄とのやり取りが元ネタではないかといわれています。
壇一雄ですが、この人は太宰治という本も出しています。
太宰と結構な仲良しです。

ちなみに太宰と不仲な中原中也という詩人がいます。この中原中也は批評家の小林秀雄(センター試験で鞘の文章を出した人です)に妻の泰子を取られます。かわいそうです。


まあ、そんなこんなで走れメロスには元ネタがあったというお話です。
作家の背景を知ってると作品を読むとき少し違った感覚で読めるのではと思います。

本は人生を豊かにします。みなさんどんどん読みましょう


2 件のコメント:

落ちろカトンボ さんのコメント...

走れメロスには元ネタがあったり、実は大して走ってなかったりとネタが満載ですね。

落ちろカトンボ さんのコメント...

小林秀雄は深田久弥とも仲が良く、百名山にもしばしば登場します。