2018年11月15日木曜日

北アルプスのダムを調べてみた

こんにちは土木大好き、筋肉大好きの渡辺です。もうすぐ引退なので、このブログからもさようならです。

今回は、今年の夏合宿を行った北アルプスにある数々の土木構造物を調べたので、書いてみます。

まずは、北アルプスのダムと言えばあのダム
「黒部ダム」です。
3000m級の山々に囲まれた地に、美しい曲線を描く人工物にはとても感銘を受けます。
アーチ式ダムの代表格でもあります。


H28年度GW合宿で黒部ダムを通過する部員
関西の消費電力を賄うために建設され
第一工区のダム本体は間組(現在は安藤建設と合併して安藤ハザマ)、発電所(黒部第四発電所で、建物はなんと黒部の山々の中にあります。プロジェクトXで中島みゆきが地上の星を歌ったのはこの場所)は大成建設、
建設資材を運ぶ輸送路を確保するため建設されたのが、黒部の太陽で有名な大町トンネルで熊谷組が工事を担っています。

そんな黒部にはこんな言い伝えがあります。
「黒部にケガはない」
事故はすぐ死を意味します。(私は黒部で怪我をしてしまいました。笑えません。すみませんでした。)

黒部ダム建設に必要な資材は、大町側から資材輸送をする予定で、大町トンネルを掘ることになりました。大町トンネルの真上には針ノ木岳の北に位置する赤沢岳がそびえ立っています。
大町トンネルの全長は5.4kmで工期は1年の予定でした。
これが遅れれば、黒部ダム本体の工事ができなくなり、完成が延びてしまうからです。
ここについては是非、石原裕次郎主演の「黒部の太陽」をご覧ください。

その間、建設資材を運ぶために立山越えも行われました。
男性は80kg、女性は50kgの資材を背負ったと言われています。ワンダラーの私たちもビックリです。多分インド人じゃなくてネパール人もビックリです。
右奥が一乗越
室堂から一乗越をその荷物で越えていたわけですからね、、
ブルドーザーなどを使用し越えたこともあるみたいですが、傾斜が急すぎて怖すぎます。

また水平歩道、日電歩道を資材を担いで歩いたこともあったようです。
水平歩道、日電歩道イメージ
実際に今回の夏合宿で水平歩道を歩きましたが恐ろし過ぎです。


しかし、そのおかげ?で関西電力が水平歩道や日電歩道を多額の金をかけて毎年整備してくれているのです。

安藤ハザマ公式サイト-プロジェクトストーリー黒部ダム-
http://www.ad-hzm.co.jp/recruit/special/project1.html

黒部ダム建設が予定されていた当時、昭和34年12月フランスのマルパッセダム(高さ61mアーチ式ダム)が決壊し、下流域の住民500名が死亡する事故が起き、資金を融資していた世界銀行(日本の大動脈である東海道新幹線も世界銀行の融資のおかげで建設できています。)が黒部ダムの地質条件から186mのダムは危険であり、150mが適当と勧告してきたそうです。しかし、努力の結果、日本一の高さ186mを死守することができたそうです。

ちなみに日本で二番目の高さを誇るダムも北アルプスの野口五郎岳の麓に位置する前田建設工業施工の「高瀬ダム」(高さ176m、堤頂長362m、堤体積1159万㎥)です。ロックフィルダムでは日本一です。

黒部川や高瀬川は北アルプスの豊富な雪止め水が見込めることから戦前から電源開発が盛んでした。というわけで、黒部川沿いには数々のダムがあります。
黒四ダムの建設により、河川水の年間調節が可能となったので、今度は上流から下流に向け順次開発を行い、昭和60年に黒部川水系の工事は終わりました。

しかし黒部にはこれに劣らない素晴らしいダムがあります。
吉村昭さんの小説「高熱隧道」で有名な黒部第三発電所の「仙人谷ダム」です。
黒部ダムは観光地化されてしまい、一般の観光客が来ることができるものの、こちらは関西電力の見学ツアーを除けば、自分の足で欅平からであれば、10時間程歩いてくるしかないです。

しかし先日2024年にこのルートが一般開放されるというニュースがありました。欅平から黒部ダムまでが、黒部峡谷鉄道上部軌道、インクライン、関電専用バスを乗り継ぎ行くことが可能になるのです。このダムが多くの人に見てもらえるようになるというのは良かったですが、苦労した人だけが見ることができたダムだっただけにちょっと残念です、、

何もない山の中にずっしりと構える重厚感あふれる作りに惚れてしまいます。
こちらのダムは土木学会の「日本の近代土木遺産ー現存する重要な土木構造物2000選」に認定されています。
戦前の1940年に完成した重力式コンクリートダムで、施工は佐藤工業です。
地元富山発祥のゼネコン佐藤工業本店
この人も寄せ付けないような黒部の奥地にダムを建設するには多くの苦難がありました。
しかも当時は現在のような建設機械はもちろんありません。
その中でも特に有名なのが、ダム建設時に資材運搬用に建設されたトンネルです。
高熱隧道として有名なそのトンネルは岩盤温度が166℃にも達したと言われ、その高熱によりダイナマイトも自然発火してしまうほどでした。
後るからホースで水をかけながら作業を作業していたそうです。
↓これがイメージ図です。
これがデザイン工学部の画力
しかも、追い打ちをかけるように泡雪崩(ほうなだれ)と呼ばれる、日本では珍しい雪崩が作業員が寝泊まりする頑丈な宿舎を宿舎ごと吹っ飛ばしてしまうのです。
戦争中ということもあり、この国家事業の犠牲者は300人を超えたそうです。
今ではありえない話です。途中で工事が中止されるレベルです。しかし当時は戦争に向かいつつある時代ということもあり、国の圧力があり、続行されたという経緯があります。
現在もここを管理している関西電力の方が、この人見平宿舎で寝泊まりされています。

戦後建設された黒部ダム(と黒部第四発電所)建設の物資運搬用トンネル工事の様子を描いた「黒部の太陽」は有名ですが、こっちはあまり知られてはいません。映画の効果って絶大です。
吉村昭の小説「高熱隧道」にその苦闘が詳細に描かれているので、興味のある方は読んでみてください。

高熱隧道(新潮文庫)
http://amzn.asia/d/dgSmveT



それではさようなら。
みんなが部員ブログを更新してくれることを願って。

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