以前作家志望だみたいなことを口にしたら、渡辺さんに再三個人ブログに書けと命令されてしまいました。仕方がないので書いた短編を載せてみます。
物凄くお暇な時の暇潰しにどうぞ。
「山と、天狗と、私」
ーーー
山を登る――ということを続けていると、詳しい知識なんてなくとも、天狗が山に棲んでいるということだけはよくわかる。
なにしろ日本全国、百以上の山や丘が「天狗」と名付けられているのだ。そりゃあ、よっぽど天狗が山を好きだったか、山に登る人が天狗を好きだったかしたのだろう。
あるいは、その両方か。
とはいえ山岳以外の地形、海や湖にも「天狗岬」とか「天狗池」だのとつけているので、単純に昔から日本人が天狗好きだったというだけなのかもしれない。
大抵、そういう場所には天狗にさらわれるとか天狗に池に叩き落とされるとかの悪しき伝説があるのだが、まあそこは怖いモノ見たさだろう。
怖いモノ見たさならぬ、怖いモノ好き。
そもそも天狗というのは天を駆ける狗、つまり隕石のことを指した中国の文献に由来するそうだ。それが日本の天孫降臨、天皇の祖先を導いたサルタヒコの伝説と混ざり、今の赤ら顔に長鼻な天狗のイメージが生まれた。
初めは妖怪、それから山の神様として。堕落した高僧が成るとも、歳月を経た鴉などの動物が成るとも言われ。子供をさらう者もいれば、修験者の神としてあがめられる者もいる。
善悪の定まらない、いかにも和製の神秘的な者ども。
そんな山とも日本人とも関わりの深い神様の存在を知ってしまっては、小さな頃から父親に連れられて山に登り、恥ずかしながら八年目になる私としては、やはり天狗の一つも見ねばなるまいと思いもする。
そういうわけで、夏休みを棒に振って天狗の伝説がある山々を片っ端から登って、踏破してみたのだけれど。
「見つからないなあ、天狗」
嘆息する。
私は古くは山城国、安法法師が「霞のうちにまどふ」と詠んだ、二つの河に挟まれた縦の尾根を持つ連峰の端。京都畿内に属する中ではまぁ何番目かには有名だろう、どちらかと言えば観光地として認識されることの多い、一つの山にいた。
つまりは京都府は左京区、鞍馬山の登山道である。
山頂の標高は五百八十四メートル。
分類するならそりゃあもう低山だ。天狗探しを始めてからは八十リットルのアタックザックを背負って山々を巡っていた私も、流石に馬鹿らしくて軽装用のリュックサックを引っ張り出して最小限の荷物を詰め替えた。
いくらかすれ違う人もいるけれど、当然、彼らの中に登山者然とした大荷物を抱えた人間など一人もいなかった。
整備されて、少しばかり階段の形に整えられすぎた道を登る。登山道は植生の一つの完成形とも言える極相林だというコブノキやスギの太い幹に囲まれ、広葉樹の葉が日陰を作っていた。
傾斜はそれなりに急だとはいえ、大して長い道のりでもない。じきに奥の院やら何やらが腰を据える、事実上の山頂付近に到着するだろう。到着してしまうだろう。
高尾山薬王院、迦葉山弥勒寺、鞍馬寺。
日本三大天狗とかいういつ誰が決めたのだかも判然としない格付けによって、この三つの山寺は日本で最も天狗に縁があるということになっている。
百以上もある天狗の名がついた山岳よりも上の、一番天狗を前面に押し出した天狗山として。
そんなものが当てになると信じ込んでまではいないものの、とはいえこの三つに期待を抱いていた気持ちは、やはりあった。
迦葉山を除けばどちらも標高は千メートル以下だけれど、どれも山岳信仰や修験者の修行が盛んな霊山だった歴史がある。運が良ければ天狗に会えたっておかしくはないはずだ。
そう思って、関東の高尾山、迦葉山を中心に周辺の山々に登り、この鞍馬山にまでやってきた。
けれど一度も、天狗には会えなかった。
溜め息を噛み殺しながら、歩きやすい山道を歩く。もう半分以上は来ただろうか、来てしまっただろうか。そう思った時、一枚の立て看板が目に入った。『木の根道』、そう書かれていた。
パンフレットによれば、それは確か牛若丸こと源義経が天狗に師事して修行をしたという場所だそうだ。道からは完全に外れていて、マグマの貫入した砂岩に弾き出された巨木の根が、それでも何とか水を得ようとたくましく地表に張り出している。
天狗が現れた地。そう言われれば、行かないわけにもいかない。一転して歩きづらくなった道を、木の根を乗り越えながら進んでいく。
周囲からは人の気配が一気に消えた。いかにも神秘的で、天狗が現れそうな雰囲気。期待で胸が膨らみ、口元が緩む。気分に応じてつい歩く速度も足早になり。
そして足の力が抜けた。
全身を筋肉のスイッチが一度にオフにされたような脱力感が襲う。それでも体は前に進んでいた。小走りで進み始めた体にかかる慣性が、前へ前へとバランスを崩したままの私を押し出していく。地面に張り出した木の根が足を取る。
頭から飛び出した私は空中に浮いた。その先には崖と呼ぶことができるほど傾斜の急な勾配があった。
私はそこに頭から、勢いよく転落していった。
『おい、起きろ。おい』
そんな声が聞こえた。頭がズキズキと痛んで、こっちはそれどころじゃないと怒鳴りつけたくなる。けれど、そもそも声が出なかった。喉がやたらと渇いていて、お腹も空いている。目を開けると、ほとんど日が落ちて薄暗い空が目に入った。
何でこんなところで寝ていて、こんなに頭が痛いんだろう――そうだ、落ちたんだ。崖から。
直前の記憶を思い出して、慌てて起き上がろうとする。しかし頭を起こした瞬間に鋭い痛みが走って、うめいた。しかも体の方は、そもそもほとんど動きすらしなかった。
気怠い疲労が鉛のように重くのしかかっている。そういえばここ十数日はずっと歩きづめで、休むのは寝る時と電車での移動中ぐらいのものだった。忘れていた疲れが、復讐するかのように強烈に全身を苛んでいた。
『急に動くな。頭を樹で打ってる。血は止まってるが、良くはないぞ』
声が言った。酷くぼんやりとしていて、掴み所のない声だった。何故か姿は見えない。
いや、声は頭の上から聞こえていた。首を上げて、頭が痛まない程度に視線を動かす。傾斜の山側、地面に転がる私の頭の上に、彼は座っていた。
天狗が、座っていた。
叫ぼうとして、驚こうとした。けれどどちらも頭の痛みに邪魔される。小さい頃に転んで頭を打ったことはあるが、脳震盪の痛みはこんなに長く続くものだっただろうか。
それとも、単に木肌に打ちつけた時の傷が痛んでいるだけだろうか。どちらにせよ、早く病院に行った方がいいのは自分でもわかった。
『だから、急に動くな。死にたいのか』
天狗は、少し怒ったように語調を荒げた。強い言葉も使った。
死にたいのか、だって。そんな、そんなわけがない。死ぬだなんて。
「山で、死ぬなんて、嫌……」
驚いたことに、声が出た。カラカラに乾いた喉が、それでも音を絞り出してくれた。山で死ぬなんてまっぴらごめんだ。
そう強く思った私の意志に応えてくれたのだろう。さすがは私の喉、と長年連れ添った体の部位を称賛してやる。
『ほう、そうか』
天狗の方も驚いたようで、顎を少し引いていた。
死にたがりだなんて思われたことに反論ができて、私は少しだけ得意になった。
『ならばいい。……食う物と飲む物はあるのか。飢えているだろう』
天狗が実用的な質問に移る。
実際、物凄く飢えていたので、持ち物の存在を思い出させてくれた天狗に思わず感謝したくなった。いくら低山とはいえ登山は登山だ。軽食と飲料水は、もちろん持ち込んできている。
「背中の……リュックに……」
『そうか。出すぞ』
幸いなことに、登山用のサブザックは転落の拍子にちぎれ飛んだりはしていなかったらしい。天狗は私の背中に背負われたリュックサックをごそごそとまさぐって、ペットボトルのお茶と行動食のカロリーメイトを取り出した。
私は渡されたそれらを最初はちびちびと、やがて一気にごくごく、むしゃむしゃと貪る。
ペットボトルの中身は半分ほどしか残っていなかったし、たった一箱の携行食は非常食としては心もとないにも程がある。私は自らの不用意を呪おうとして……しなかった。可能な限り食費を抑えて、あらゆるコストを抑えて、一つでも多くの山に登ろうとした。
天狗に会うためなら、どんなことでもしようと思った。その決意は、今だって変わってはいないのだ。死にたがりなんかじゃあないし、山で死ぬのもまっぴら御免だ。けれど天狗に会うためなら、死の淵まで行くことになっても構わないとは、思っていた。
満腹には程遠く、頭はズキズキと痛んで視界がぼやけ、眩暈がするのは変わらない。全身に纏わりつく重たい疲労もそのままだ。けれどそれでも一応、体を起こせるぐらいの体力は戻ってきた。
『立てるか』
「うん、はい。歩けます、たぶん」
天狗の手を借りて、ふらふらと私は立ち上がった。傍目から見ればひどく危なっかしい姿に見えたことだろう。
こんなめちゃくちゃな体調で山にいることがどれだけ危険か、父親に散々教え込まれた私にもよくわかる。けれど、まともな防寒着も食料もない中で夜を迎える方がさらに危険なのだ。
『こっちだ、ついてこい』
天狗はそう言って、夕焼けの残滓がわずかに赤く照らす木々の間を歩き出した。斜面に対して横向きに進むトラバース。
いいか、傾斜が急になるなら真っ向から進む必要はない。回りこんで、一番歩きやすい道を選ぶのも一つの技術だ。そう言って、父親は私に道の無い山を歩く方法を教えてくれた。
登山者が遭難した場合、無闇に下ろうとするよりも上に登るべきだというのが通説である。山の形状は必然的に末広がりで、下に行くほどその面積が広くなる。
迷う余地が増えるばかりの谷側に降りるよりも、稜線にさえ出てしまえば前と後ろの二択になり、登山道が整備されていることも多い山側に登る方が確実に遭難状態から脱せられる、ということだ。
しかし、天狗は横へと歩きながら、徐々に下る方へ足を進めていた。ほんのわずかに、恐怖が芽生える。天狗と言えば古今東西、山を訪れた者を化かし、驚かし、時には神隠しとして攫ってしまうものだという。
この天狗もこのまま、私をどことも知れない天狗の棲み家へ連れ去ってしまうつもりなのだろうか。
「下るん、ですか?」
『この山は三方を河と街に囲まれている。北側に進む登山者も少ないから、尾根にわかりやすい目印もあまりない。日が沈んでから目印を探して彷徨うよりは、とにかく下へ降りた方が早い。たとえ北側へ向かってしまったとしても、麓にさえ辿り着けば遠回りでも道に出る。どうだ』
最後の一言が了承を求めているのだとわかって、私は逡巡した末に頷いた。
天狗が言っていることは恐らく正しい。地形と立地から考えれば、今は下りる方が正解だ。ただし、天狗ならば妖しげな術を使っていくらでも人攫いぐらいできてしまうかもしれない。
けれどそもそも、そんな天狗を探しに来たのは自分なのだ。折角、会いたいがために十も二十も山に登ってきた相手に会えたというのに、ここで逃げ出したら何のためにやってきたのかわからない。私は、天狗を信じることにした。
横向きに歩き、下る。やがて傾斜は緩やかになり、まっすぐに下へ向かって歩けるようになった。トラバースをやめ、直登のルートを逆になぞる。そうして日がほとんど沈みかけた頃、天狗が唐突に口を開いた。
『何故、この山へ来た』
しばらくは何を言われているのかわからなかった。観光、だとか参拝だとか、そういう適当な答えを返すべきなのかと考えて、そうではないことに気づく。
天狗はわかっていた。私が、何か目的を持って、こんな無茶な登山をしていることに。繰り返していることに。
「天狗に、会いたかったから」
結局、何も隠さずに、本心を口にした。そういえば人にそれを言うのは初めてだったかもしれない。ほとんど家出同然に家を飛び出してきて、家には書き置きを残してきた。
「天狗に会いにいってきます」。けれど直接は、お母さんにだって言っていない。友達にも、もちろん。
『何故、天狗に会いたいと思った』
「それは」
それは、それこそ誰にも言ってはいないことだった。誰にも言うつもりのないことだった。どう聞いたってただの誇大妄想でしかなくて、でも自分の中ではそうに違いないと信じていた。誰かに否定されるのが怖かった。
いっそ天狗の存在を心から信じていて、それに会いたいと思っている夢見がちな女の子だと思われる方がよほど良かった。
それでも、天狗に隠しておくわけにはいかない。
この一言を訊ねるために、私は天狗に会いに来た。
「――お父さんは、きっと天狗になったから」
お父さん。
私の父親。山が大好きだった人。山が大好きで、天狗が大好きで、私にその両方を好きにさせてくれた人。私が大好きだった人。今は何もかもが、過去形で扱われてしまう人。
天狗は笑わなかった。否定もしなかった。ただ、こう訊ねた。
『何故、父が天狗になったと思う』
何度も自問自答したことだ。答えだって、決まりきっていた。
「お父さんは山が大好きで、山に棲むっていう天狗が大好きで。生まれ変わったら天狗になりたいっていうのが口癖だった。だけど山が好きだからこそ、山でだけは死なないっていつも言ってた。
私にも、山でなんか死ぬんじゃないって口を酸っぱくして言ったの。山で死ぬのだけは嫌だ、山に迷惑をかけて死ぬのなんて御免だって」
山では死にたくない。これだけ愛した山におれは感謝しているのに、それを汚して死ぬのなんか御免だ。山から帰って、街で暮らして、そこで穏やかに最後を迎えたい。
お父さんはそう言っていた。何度も、何度も。
それなのに。
「そう、それなのに――お父さんは、山から帰ってこなかった」
五月。まだ大部分を雪で覆われた剱岳に、お父さんは昔の登山仲間と登りに行った。ピッケル、アイゼン、スノーシュー。冬山の装備をきっちり整えて、経験豊富なメンバーと、十分な準備をした上で登りに行った。
私は学校の休日と予定が噛み合わなかったし、お父さんは昔の登山仲間と旧交を温めるつもりだった。少し仲間外れにされたような気分を味わいながら、私はいつも通りにお父さんを見送った。
二日後のニュースに、どうしてかよく知っている名前が流れていた。よく知っている顔が載っていた。帰ってきたのは棺に入れられた冷たいなにかと、泣きながら床に伏して私とお母さんに謝るお父さんの登山仲間たちだった。
お父さんは、帰ってはこなかった。
お母さんは棺にすがって、声を上げて泣いていた。けれど私にはわからなかった。だって、あんなに言っていたのに。山でだけは死なない、絶対に街に帰ってくるって。お父さんは山についてなら、一度も嘘なんて吐かなかったのに。
私は考えて、考えて、考えて。
ようやくその答えを見つけた。
お父さんは天狗が好きだった。お父さんは山が好きだった。お父さんは天狗になりたいと言っていた。お父さんは、生まれ変わったら天狗になると、そう言っていた。
だから、お父さんは。
「きっと、天狗になったんだ」
見た事のない場所へ連れて行ってくれて、見た事のない景色を見せてくれる。想像もできないような話を、心の底から楽しそうに話してくれる。そんなお父さんが私は好きだった。そんなお父さんに、私はもう一度会いたいと思った。
「私は、お父さんに会いたい。天狗になったお父さんに会いたい。あなたはお父さんがどこにいるか、知っていますか」
もうとっくに、日は沈み切っていた。木々と、地面と、空の闇が混じり合って境界線が溶けていく。頭はズキズキと痛んで、けれどそれ以上に胸の奥が痛くて苦しかった。この痛みのためなら、何度だって山に登って、天狗を探して歩こうと思った。
山で死ぬのだけは駄目だけれど、それでも死ぬまでだって登ろうと思った。星なんて一つも見えない夜空。たった一つでいい、一度でもいい。もう一度だけでいいから、会いたくて仕方がなかった。
天狗に……お父さんに。
目の前に立つ天狗は何も答えなかった。夜の闇に溶けたまま、そこにじっと佇んでいた。けれどやがて、一言だけ、質問をした。
『何故、父は山を愛していたのだと思う』
「え……」
『新たな景色を、見せてくれるからだ』
初めて、天狗は自らの問いに自分で答えた。それは私が山が好きな理由の一つでもあって。けれどもしかしたら、いつかどこかで誰かに教わった喜びだったかもしれない。いつも一緒にいた、誰かに。
『山は常に表情を変える。天候によって、季節によって、あるいは踏み入る人によってさえ。同じ山でも、登るたびに新たな景色が生まれる。それを、父は何よりも愛していた。愛したが故に、登り続けていた』
そう、お父さんはいつだって山の景色を愛していた。
晴れの日には青空と緑が綺麗だと言い、曇りの日には雲海が増えて見事だと言い、霧の日には何も見えないのが神秘的で素敵だと言い、雨の日でさえ雨粒に煙る風景は素晴らしいと言った。くるくると変わる景色はどれも新鮮で、見ているだけで楽しいのだと。
『けれど、やがてそれだけではなくなった』
それだけではなくなった?
どういうことだろう。お父さんは、山に新しい喜びを見つけ出したのだろうか。
天狗は続ける。夜の闇の中で。
『ある時現れたそれは、常に表情を変える。話すたびに嬉しそうに笑い、寂しいと泣く。小さなことで怒り、けれど頭を撫でるだけで機嫌を直すこともある。何をするのか予想もつかず、どれを見ていても新鮮だった』
私は、何も見えない夜の闇で目を見開いた。
天狗が言おうとしているもの、それはつまり。
『登羽。お前が、父の新たな景色になった』
風が吹いた。突風に吹き散らされて、遥か遠い雲までもが隙間を作る。ほんのわずかに、月と星が夜の闇に光を差した。たった一筋の明かりが妙に眩しくて、私は顔を上げる。
『それからの山に登る目的は、お前に自らが愛した景色を見せてやりたかったからだ。
山では死ねないと思った本当の理由は、お前を悲しませたくはないと思ったからだ。何よりも愛するようになった相手に、自分がかつて愛したものを好きになって欲しいと思ったからだ』
天狗の顔は見えなかった。月明かりが照らしてくれるのは私だけで、天狗のことは何一つとして明かしてくれない。だから天狗の言葉だけが、私の胸に染み入ってくる。
私に山を大好きにさせてくれた、私の大好きなお父さん。家のリビングで、山小屋で、学校の送り迎えの帰り道で、山に行った日の車の中で。色んな話をしてくれて、それに私が喜ぶのを見ては、いつも嬉しそうに笑っていたお父さん。
お父さんが愛していたもの。
お父さんが愛していた、私。
『さぞや無念だったことだろう。さぞや悔しかったことだろう。何度となく、お前と母に胸の内で詫びたことだろう。生きていたいと、心の底から願っただろう。――それでも、父はもういない。お前がいくら探したとしても、もう会うことは、できないのだ』
天狗の言葉が、胸の奥の痛みに触れた。けれどそれをこれまでのように拒むことはできなくて、私は地面に座り込んだ。
山に登っても、どこを探しても、お父さんにもう会うことはできない。お父さんは、もうこの世のどこにもいないから。険しい飛騨の雪の中で、命を失ってしまったから。
いつの間にか、頬が濡れていた。
こぼれ出した雫はとめどなく続き、やがて私は声を上げて、体を震わせた。
私は泣いた。地面に座り込んで誰もいない山の夜に、涙声でひたすらに吠えた。
お父さんが帰ってきたあの日、棺桶にすがって泣いたお母さんのように。泣きじゃくってわめいて、悲しんで、そうしてようやく。
やっと、今更になって。
お父さんは死んでしまったのだと、認めることができた。
山の夜の闇と、月明かりの中で。
次の日。私は病院の診察室で、清潔な白衣を着たお医者さんと向き合っていた。
「西条登羽さんの症状ですが。頭の打撲と肩と足の打ち身の他は、外傷は特にありませんでした。MRIでも脳に異常は見つかりませんでしたし、軽度の栄養失調と睡眠不足、それに過労が重なったことが問題だったようで。
一晩ゆっくり寝て点滴をしましたので、だいぶよくなったはずです。とはいえ、おうちに帰ったらゆっくり休ませてあげてください。まだ高校も夏休みでしょうから」
「ありがとうございます。本当にありがとうございました、先生……!」
やたらとこっちを子供扱いしてくる医者に対して、隣に座るお母さんは涙ぐみながら何度も頭を下げていた。恥ずかしくもなるけれど、私に恥ずかしがる資格なんてものは当然ない。
それを言うなら、私はそれよりよっぽど恥ずかしいことをやらかしたのだ。家出の末に貯金を使い果たして山に登り続け、あわや京都の山中で死にかける、なんていう馬鹿なことを。
今朝目を覚ました時、私はいつの間にか病院のベッドの上にいた。財布の中の学生証から身元がわかり、警察に捜索願まで出していたお母さんは夜の間にタクシーを乗り継いでかけつけてきていた。
どうやら私は鞍馬山の麓、鞍馬駅前の外れで倒れていたらしい。どうやってそこまで降りてきたのかは記憶が曖昧だった。通りがかった人の通報で救急車が呼ばれ、病院でお母さんが呼ばれ、私は眠っている間に一晩を入院して過ごした。
徹夜で病室のベッドの隣に座っていたらしいお母さんは、目を覚ました私を泣きながら抱きしめた。無事でよかった、体に痛いところはない、ごめんね。そう私を気遣うことばかり言って、もうこんなことはしないで、と怒られたのは随分と後になってからだった。
深い隈に泣き腫らしたのが加わってひどい顔になったお母さんを見て、いけないことをしたな、と素直に思った。もうきっと、私は天狗を探さないだろう。
近畿鉄道の特急に揺られながら、私はお母さんに初めての頼みを口にした。
「お母さん。私三重に帰ったら、お父さんのお墓参りに行きたい」
お母さんは一度驚いたように呼吸を止めて、それから「そうね。一緒にね」と微笑んだ。
大人っていうのは、やっぱり凄い。
お父さんも、お母さんも。
私が天狗に会ったことを話すと、医者は訳知り顔で、
「それは『サードマン現象』かもしれないね」
と言った。
サードマン現象というのは遭難者や被災者が極限状況の中で、いるはずのない人間を見ることらしい。そのいるはずのない誰かが道案内などをしてくれたお陰で命が助かったという人が、世の中には少なからずいるそうだ。
科学的に解明はされていない現象だけれども、有力な仮説の一つとしては極限状況下で脳が生存のために活性化し、奥深くに眠っていた知識や思考力を幻のガイドという形で発揮するというものがあるという。
「過労や栄養失調によって危機を感じた登羽さんの脳が、天狗の幻を作り出して登羽さんを導いた、のかもしれない」
そんな風に、年配の医者は言っていた。
実際、あんな道を外れた場所で人に会うとは思えない。時代錯誤な修験者でもいたにしても、私は天狗の服装や外見を何一つ覚えていなかった。
ただ天狗だ、という感覚だけが強く残っている。
声や言葉も、今にしてみればどれも曖昧にしか思い出せなかった。
私が出会って命を助けられたのは、天狗だったのだろうか? 脳の作った錯覚だったのだろうか?
それとも……。
三重に戻った私はお父さんのお墓に線香を立て、伊勢神宮にお参りをした。お父さんが安心して眠れますように、と。
しばらくはお父さんの遺した貯金があるし、大学までは行かせてあげられるから気にしないで、とお母さんは言った。
けれどお母さんは働き始めるのだろうし、私もバイトくらいは始めるつもりだった。これから忙しくなるだろうし、大変なことも増えるだろう。
それでもきっと、私はまた山に登る。
お父さんが愛した場所に。
私が愛するようになった場所に。
街で暮らして、山に登って。
いつか自分の子供に、私はこんな景色が好きなんだと嬉しそうに教えられる、その日まで。
考えさせられました。山っていいものですね。
返信削除多くの本を読んでるんだなと感じました、
返信削除また同時に多くの小説を書いてるんだなと感じました
とってもいい話でした
素晴らしい文章でした。
返信削除是非その才能を活かしてもらいたいと思います。
久々に本を読み進めていく時の高揚感を感じられたよ・・・
返信削除凄いよ平野、いいひとときをありがとう
また書いてね!